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第2弾【オイサ!パサージュ広場山笠通信】九番山笠 天神1丁目 飾り付け
オイサ!
先日、飾り付け 行われました。
九番山笠 天神1丁目は走る「舁き山」ではない「飾り山」。
山笠は奇数番号の山笠を「差し山」
偶数を「堂山」とよびます。
「差し山」は勇壮な人形を飾り、「堂山」は優美なものを飾るのが原則。
パサージュ広場の九番山笠は「差し山」ですよ!今年の標題は以下の通り
(表) 標題「 天下布武勲 」 (てんかふぶのいさおし 人形師 中村信喬 なかむらしんきょう氏)
織田信長は「天下布武」を掲げ、戦国の世の武力統一を目指しました。1568年、後に室町幕府15
代将軍となる足利義昭を擁して上洛し、五畿(山城、大和、和泉、河内、摂津)の支配を強めました。家
臣の柴田勝 家、丹羽長秀、滝川一益、明智光秀の4人は、天下人への道を突き進む信長を支え〝織田四天
王〟と呼ばれました。新しいもの好きの信長は南蛮文化をもたらすキリスト教を保護。天正遣欧少年使節
がローマへ向けて日 本を旅立ったのもこの 時代です。日本にとどまらず、世界にも目を向けた信長。ロシ
アとウクライナの戦争が続き国際情勢が揺らぐ今だからこそ、世界に夢をはせた信長の思いを感じ取って
ほしい、この作品にはそんな思いが込められています。
(見送り) 標題 「 長良川合戦 」 (ながらがわかっせん 人形師 白水英章 しろうずひであき氏
下克上の末、美濃(現在の岐阜県南部)の戦国武将に上り詰めた斎藤道三。主君を裏切ることも辞さな
かった道三が最後に敗れ、命を落としたのが長良川合戦です。相手は長男義龍でした。父子の確執から義
龍は道三が可愛がっていた弟たちを殺害。亀裂が決定的となり、1556年に長良川 付近で両軍がぶつか
りました。道三の娘婿である織田信長も援軍を送りましたが間に合わず、兵力で劣る道三は討ち取られま
した。義龍の采配によって追い詰められた道三は、それまで「無能」としてきた長男への評価を改め、後
悔したと言われます。飾り山は合戦模様をあえて描かず、父子の微妙な距離を表現。どんなにすれ違って
も、家族は互いを認め合ってほしいとの願いが詰まっています。
朝から飾りの荷下ろし、みんなでテキパキとやっていきます。
人形師の先生の指示のもと、山大工さんと一緒に
飾り付けをしていきます。
飾り付けの様子を見学されたことがある方は
「もうちょい姪浜!もうちょい櫛田!」
という声を耳にしたことがある方いるのではないでしょうか?
パサージュ広場は北が表 南が見送りになっています。
飾りの位置を人形師の先生が大工さんに指示するとき、
西を「姪浜」、東を「櫛田」と呼んで配置を決めています。
2日間の飾り付けも無事終了。
「舁き山」「飾り山」「差し山」「堂山」 みなさん覚えました!?
言葉を覚えるとより山笠が楽しくなりますよ!
歴史と文化が詰まった博多祇園山笠、奥深さにハマってください。
博多祇園山笠は7月1日(土)からスタートです。
山笠通信で引き続き情報をご紹介していきたいと思います。
ではまた次回山笠通信をお楽しみに!